テレビをつければ一日に何度も携帯電話各社のCMが視覚情報として入ってくる。時代の最先端をいく機器なのは重々承知だ。
けれども相手の電話番号を知らなければ電話もかけられないし、メールアドレスを知らなければメールも送れない。それも重々承知だ。
最先端技術にして今の自分には無用の産物。何せ連絡を取りたい相手の連絡先を知る術、いや体裁かな、それを持ち合わせていないのだから。

だから何度携帯電話のディスプレイを眺めた所で欲しい情報は入ってこないのだ。ああなんという無用の産物だろう。


「それじゃあ解らないことがあったらメールします」
「はい、いつでもどうぞ」
微笑むと生徒は一礼して講師室を後にした。
時間に追われる花の受験生だ。テキストで解らないところがひとつあったところでわざわざ予備校まで足を運ばせるのは気が引ける。
授業で予備校に足を運んだついでに質問されるのは構わないのだがいかんせん明日からは冬季休業、年末年始のため四日間程予備校はもぬけの殻になる訳で。それなら、と携帯のメールアドレスを希望する生徒に教えた。年末年始も受験勉強とは頭が下がる。自分も通った道だけれど。
そんなこんなで気づけばメモリーに「予備校生徒」のフォルダが出来たという訳だ。
悪友にでも話したら女子高生のアドレスを所持などしやがってまったくけしからん。羨ましいなどとは言わんぞ。決してそんなことはないぞ。そんな訳のわからない反応を見せるのだろう。長年の付き合いだがいまいちキャラが掴みにくい。
パタンと携帯電話を閉じて机の隅で眠らせた。年明けの授業の準備を少しでもしておきたい。今日は担当授業はもう無い。定時ぎりぎりまでやっていこうか、そう講師室の入り口上部に設置された壁掛け時計を確認したときだ、視界の端に明るい暖色の頭髪が目に入った。
多分見間違える事は無い。ああ、やっぱり。
彼が談笑しているのは受験文系講師の机の島の一番奥、ダーラナ先生の席。
確かダーラナ先生もバイトの大学生、同い年だったな。講師の人数が結構いるため余り話したことはないけれど好感を持てる青年だった記憶がある。世話を焼くのを苦と思わないというか、性分というか、物腰も口調も柔らかく、話しやすそうな印象の青年。
なんとなく、他意はない、ただなんとなくぼんやりと2人の談笑している姿を眺めていた。他意はない。
何を話しているのだろう、授業のことだろうかテキストの問題についてだろうか、
それとも日常のことだろうか趣味の話だろうか、
すごい、楽しそうだ。
いけないいけない、と目線を自分の机に戻した。パラパラとテキストを捲る。今日はここまで進んだ、順調。年始にはセンターがあるから、それの対策と、
耳に微かに届く笑い声、話の内容は聞こえない。
いけないいけない、
『当たり障りなくて結構楽しいですよ』
と悪友に話したことがあったな、と記憶が頭を掠める。当たり障りの無い、それはそうだ。テキストの話しかしていない。
講師室に用があるのは授業やテキストや進学先の大学のことについてで、それは自分の知識でまかなえるし、資料もある。
聞かれたことを答えておしまい。そんなものだと思っていた。
けれど、なんだろう、今はとてもダーラナ先生が羨ましいと思っている。
教師願望?自分は教師になりたかったのだろうか。いやしかし。こんなことを思ったのは今日が初めてだ。教師心が目覚めたのだろうか、なんだろう、なんだろう。
笑い声が耳に届かなくなった。
顔を上げれば彼はもう講師室を後にしたようだ。
どこかで、
ダーラナ先生との談笑のあと、こちらに足を運んでくれるのではないかと期待していた自分が、いたらしい。
少しばかり、残念に思った自分が、いたらしい。
耳の奥で笑い声だけが響く。
これではまるで、
まるで、


「先生、良いお年を」
自販機の前で彼に声を掛けられた。
「あ、……は、い、」
よいお年を、
そういって微笑んだ。微笑んだつもりだった。
「先生、風邪ですか?」
きょとん、と数秒後に覗き込んでくる彼にすこし身じろぎをしてしまった。すいません、今、顔を見られたくない、です。
「いや、………はい、少し風邪気味…なので、」
あまり近寄らない方が…いいですよ、
(どんな情けない顔をしているか解らないので、そうゆうことにしておいて、ください)
「さっきダーラナ先生にのど飴もらったんですよ」
あげます。ちょっとまっててください、
そう言ってコートのポケットに手を入れてごそごそとのど飴の行方を探す姿が、微笑ましい。
うそつきなおとなで、すみません。少し、申し訳ないと思った。
「どうぞ」
手を出されるから反射的に手を出して受け取って、
「ありがとうございます」
目の前に出された手が自分のものより一回り小さくて、
節がすこし赤味を帯びていて、ああ寒いのかな、なんて、
「コーヒーと紅茶、どちらが好きですか」
「えーと?若干紅茶…、」
ちょっとまっててくださいね、と制して、ポケットから財布を出して、硬貨を数枚自販機に投入、
「ストレートとミルクティ−…あとレモンティー、どれが好きですか」
「レモンティー…」
ガコン、と落ちてきたレモンティーを取り出して渡せばまたきょとんとこちらを仰いだ。
「あげます。外、寒いですから、風邪を引かないように」
遅くまでご苦労様です、他の生徒には内緒でお願いします
「すみません、ありがとうございます。ちょっと早いお年玉ってことで有難く頂きます」
そう言って笑ったその笑顔が、
嬉しくて、
カア、と体温が上がった気がして、どうしようもなく、
どうしようもなく、


「よいお年を」
手を振る彼に手を振り替えして、
その場に立ち尽くす。
これではまるで、恋をしているようではないか、
どうしようもなく、彼を好きだと自覚してしまったようではないか

だめだな、これじゃ首を切られてしまうよ
ぼんやりと、立ち尽くした。
既に自覚してしまった僕の中身は抑えきれないとばかりに彼の笑顔やら声やら仕草やらを延々とリピートする。ハ、と我にかえれたのはポケットの中の携帯電話が振動したおかげだった。
表示される名前は生徒のもので、ああ、そういえば彼の連絡先は知らないな、と惜しく思う。
自宅学習中に解らない事があれば連絡してください、そう言ってアドレスを伝えればよかったと思わないでもなかったが、それは職権乱用か、と判断した。
あくまで自分は予備校の講師で、彼はその生徒で、
それさえなければ只の大学生と只の高校生だけど。
他の生徒と扱いが違ってしまってはいけない、彼に対して恋愛感情を抱いているけれど、自覚してしまったけれど、勿論誰にも悟られてはいけない。
「だって、」
「先生と生徒、です、し、ね…」


コミュニケーションの道具、最先端技術の携帯電話とて、愛し彼とを繋いでくれる訳ではない、
それは、多分、
これからもずっと









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