「うーん…」
目の前の友人が唸るのは机に広げられたテキストの問3演習らしい。
シャーペンと消しゴムを総動員させてノートに数字と記号を書き込んでは消し、その繰り返しを伺うこと早6回。
珍しいこともあるものだと思っていたのだが当の本人はこちらの様子にまったく気づかずにテキストと格闘している。
まったくもって珍しい。
ちらりとテキストを覗き込んだが、ああごめんよ烈君、そこは分野違いで何の力にもなれない。ごめんよそんな僕を許しておくれ。
「うーん………」
無力な僕に出来るのはこれくらいかな、
「ヨハンソン先生、講師室で見たよ、どうせなら聞いてきたらどうだい?」


「失礼します、」
講師室、室と言っても壁やドアがある訳でもないのだけど隔離された雰囲気があるのは資料やテキストの類が整頓されたり詰まれたりしている机が並ぶその空間が学校の職員室と同じからかもしれない。
キョロ、と見回して受験数学担当の机の島に足を運ぶが友人の情報は少しばかり遅かったようだ。
綺麗に整頓されたテキストと資料に混ざってハードカバーの小説だと思われる本が書店のブックカバーを巻かれて数冊並んでいるところがなんともヨハンソン先生らしい、が、しかし当のヨハンソン先生の姿は見当たらない。行き違ってしまったか、それとも他クラスの授業に出てしまったか、どちらとも解らないが取り合えず、はあ、とため息をついてみた。
仕方ない、出直そうか。
「質問ですか?」
どうやら自分がやって来た方からスーツを着込んだ長身の青年が声をかけたらしい。
講師室でスーツということは勿論講師なのだろうが、見覚えはなかった。只単にこの講師の授業を受けた事がないだけかもしれない。
「ええ、ヨハンソン先生に用があったんですが、」
「ヨハンソン先生のクラスだったら、…ああ、やっぱり、テキスト同じですね」
ヨハンソン先生のはす向かいの机(こちらも整頓されている、私物は見当たらない)から講師自身のテキストだろう、それを取り出して「ほら、」と見せる。落ち着いてはいるがどこか若々しい印象だ。
「進行具合もあまり変わらなかったはずです。どこか解らないところでもありましたか?」
極自然に椅子に座り、極自然に隣接している主のいない机の空席を勧められてしまえば、こちらも極自然に椅子に腰掛けて自分のテキストとノートを広げるしかないだろう。何というか、促すのが上手いというか。
「問3演習なんですが、何度やってもしっくりこないというか」
「ノート、お借りしますね」
ひょい、と、さっきまで自分が格闘していた相手を持ち上げて数秒にらめっこをした後、この講師は、フ、と頬を緩ませた。


「おかえり、ヨハンソン先生いたかい?」
居た堪れない。
一言で言えば、居た堪れない。
力無く椅子に腰掛ける。椅子は人肌が消え去ってひやりと冷たかった。
「居なかった、」
「そ、っか、もう暫くしてみたらもう一度、」
「んだけど、」
おや?と。
先程から様子がおかしいのは解っていたけれども、何だろう、
「ちょうどそこに居た先生が教えてくれて」
「なら良かったじゃないか。どこが間違ってたんだい?」
何だろう、
形容するなら、
「……………足し算が、ね」
担任の先生をお母さん、と言い間違えてしまった小学生のような顔をしている、よ…。
「なんで……………………8+7を12と書いたんだろうね………」


「僕は受験が凄い不安になった」と遠い目をする友人に不謹慎ながら何と微笑ましいのだろうと思ったことは内密だ。













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