まるで石の様に固まった粘土は、掌で握り締めながら蛇口から流れ出る水の中へと投じると、表皮が解け始めてどろりと流れ出した。
固体から液体へと変わるくせに、液体はそのどろどろした形態を保ったまま指の間を流れて、ステンレスの地へ勢いを保ったままの小さな滝の様な蛇口の水と共に、流れ落ちる。
この水とこの液体が混ざり合えばこの妙な不快感は消えるのかもしれないと思いながらも、それは決して混ざり合う様子は無かった。
掌いっぱいに握り締めていたその粘土は形状を変え、次々と身を小さく幼く変化させる。
掌を開いてまるで小石のようになった粘土を水に晒して指先で弄べば、パキリと小気味良い音すら無く只砕けた。
そして水の勢いにさらに身を幼くして終いには指と指の間からするりと流れて落ちていった。
掌に残ったのは少量のどろりとした液体と水に晒されたまま下がっていく体温。
まるで自分のようだと思った。
指から流れ落ちる粘土のように流れ落ちていったのは、自分にとっては何だったのだろうか。




「助かったわ」
そう言って近場の椅子に腰を掛ける中年の女教師に、いいえ、と軽く答えた。
「埃を沢山被ってしまったでしょう」
また、有難う、と礼を述べる辺り、律儀な教師なのだと再確認する。
数時間前に俗に言う終業式というやつが終り、事実上今この時分は春休みである。
帰宅しようと廊下を歩いている矢先に出会ったのはこの学校に来てもう十数年になるであろう美術教師で、軽く挨拶を交わしただけだった筈だが気付けばあれよあれよいう間に美術準備室の整理を手伝わされていた。
ここまで気持ちよく相手の思惑に嵌ると言うのも中々無い体験で、不平不満より先に感心の念が渦巻く。
当初は少々埃被った棚や机を拭くという作業なだけだった筈だが、一つ、また一つと出くわす、美術関連と全く関わりの無い自分には見慣れぬ道具や画材が目の前に広げられてしまえばそれの片付けや埃取り、気付けばいつの生徒が放置したとも思えぬ粘土の塊を溶かしている自分が居た。
手にこびり付いた粘土を丁寧に洗ってタオルで水気を拭き取った。ほんの少しばかり残る湿り気が空気に晒されて冷たい。
それじゃあ失礼します、とドアを開いた先には蛍光灯の灯らぬ長い長い廊下が目の前に広がっていた。




何度通ったか解らぬ廊下を一歩一歩確かに踏みしめる。
こんなに長かったろうか、そう思案しながら後ろを振り向こうかとしたが、止めた。
いつになっても暗さには慣れない。
妙な空気と不快感、不安と、不安から来る遠近感の狂い。
どれを取っても良いもの等一つとして挙げられない。
嗚呼だから嫌なんだ。
そう小さく呟いて足早に階段を駆け下りた。
上履きの乾いた音が階段に、耳に、響く。
暗闇を誰が好んで歩くものか、思ったよりも窓の外は暗くそれに比例するように校舎内も暗い。
人の姿が見受けられず、音を出すのは自分だけである。もし他に音源があったとしたらば、この妙な緊張感は最高潮に達したのだろうが、言わせてみればそれがせめてもの幸いだった。




足早に掛けて出た先の下駄箱の窓から覗く空は深い紺の絵の具を零したようだった。
ふと見上げたその空を両眼に写しても何の感慨も起こらなくなったのは好ましい事だと思った。










数週間後には所謂受験生という生き物になる。
レース中にコースに適したセッティングに変更する為にピットインするように、僕は受験生という名の生き物になってピットインする。
僕のセッティングは、
僕のベクトルは、

いつだったか夜の空の色を宇宙の色だと吐いた宇宙馬鹿の元へと向かって居るのかも知れない等と言ったら、彼は調子に乗りそうだから決して言ってはやらないけれども

指から流れ落ちる粘土のように流れ落ちていったのは、彼への気持ちではなく、彼への気持ちを認め切れなかった幼い羞恥心だと、




僕のベクトルが真っ直ぐに彼へと向く前に、何か先手を打っておこう
照れ隠しで手が出てしまう前に、
彼を抱き締め返す事が、
当面の、課題。













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